続「田舎暮らしもほどほどに:大長谷週末寄寓人」
平日限定嫁綴り。 週末はのどかな山村・大長谷のクラインガルテンにて帰農し,平日は立山仰ぐ富山にで過ごす。 二重生活を送る一家のヨメが綴る,有閑かつエキサイティングな日々。
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先日、お茶しに寄れば?と友を誘った際に彼女が言った事。「これから実家帰ってお米を貰いにいくのよ。実は今うちの米櫃が空でさ。」
納得。何はなくとも米である。
米櫃が空で、どうやって友人宅で茶など飲めるものか。
主婦たるもの、米櫃を空にしてはならぬ。お米が底をつきそうになったときの、あの焦燥感。頼り無さ!家族に腹一杯食べさせる事に誇りを持っているものならば、死守せねばならないのはまず、米だ。
米好き男子二名を抱えた我が家の米櫃。年間90キロを玄米で備蓄している。30キロ入りの米袋三つ。この大量の米を5キロづつ精米して、新米の時期までに平らげてしまう。米はお世話になっている大長谷村の「またぎ仙人」のおじいさんから購入しているもの。
初めてこの米を、大長谷村の綺麗な清水で炊いて握って食べたオニギシに、天地がひっくり返る程感動した。「旨いッ!」米粒の隙間に美味しいお米の空気。これぞ山のご馳走だと家族で吃驚したのを良く覚えている。
山の湧き水を引いて、山間の小さな土地を耕して、細々と丹精込めておじいさんとおばあさんが育てたそのお米は、兎に角白く清らかで甘く、私たちの大好きなおじいさんのようなまっすぐ真面目で丁寧な、濃いお米の味がした。
以来毎年、八尾の風の盆が胡弓を奏でる頃になると、残り僅かになった米袋を溜息と共に眺めながら、そろそろまたおじいさんに新米を頼まなけりゃナァと思いながら、またあの飄々としたこの上なく優しいおじいさんの笑顔に会えると心踊るのだ。
我が家はご飯の時いつもお山の神様と、優しい仙人に両手を合わせて感謝する。
いただきます。
おじいさん、今年も世話になります。
おじいさん、今年も元気でいてね。
-------------
骨折した足の親指に巻いているこちらの包帯。
病院で使っているものと同じものを先日薬局で購入した際に、驚愕の表記を発見。思わず薬局のお兄ちゃんにツッコミを入れたぞッ!
「犬かよッ!」

納得。何はなくとも米である。
米櫃が空で、どうやって友人宅で茶など飲めるものか。
主婦たるもの、米櫃を空にしてはならぬ。お米が底をつきそうになったときの、あの焦燥感。頼り無さ!家族に腹一杯食べさせる事に誇りを持っているものならば、死守せねばならないのはまず、米だ。
米好き男子二名を抱えた我が家の米櫃。年間90キロを玄米で備蓄している。30キロ入りの米袋三つ。この大量の米を5キロづつ精米して、新米の時期までに平らげてしまう。米はお世話になっている大長谷村の「またぎ仙人」のおじいさんから購入しているもの。
初めてこの米を、大長谷村の綺麗な清水で炊いて握って食べたオニギシに、天地がひっくり返る程感動した。「旨いッ!」米粒の隙間に美味しいお米の空気。これぞ山のご馳走だと家族で吃驚したのを良く覚えている。
山の湧き水を引いて、山間の小さな土地を耕して、細々と丹精込めておじいさんとおばあさんが育てたそのお米は、兎に角白く清らかで甘く、私たちの大好きなおじいさんのようなまっすぐ真面目で丁寧な、濃いお米の味がした。
以来毎年、八尾の風の盆が胡弓を奏でる頃になると、残り僅かになった米袋を溜息と共に眺めながら、そろそろまたおじいさんに新米を頼まなけりゃナァと思いながら、またあの飄々としたこの上なく優しいおじいさんの笑顔に会えると心踊るのだ。
我が家はご飯の時いつもお山の神様と、優しい仙人に両手を合わせて感謝する。
いただきます。
おじいさん、今年も世話になります。
おじいさん、今年も元気でいてね。
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骨折した足の親指に巻いているこちらの包帯。
病院で使っているものと同じものを先日薬局で購入した際に、驚愕の表記を発見。思わず薬局のお兄ちゃんにツッコミを入れたぞッ!
「犬かよッ!」
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