続「田舎暮らしもほどほどに:大長谷週末寄寓人」
平日限定嫁綴り。 週末はのどかな山村・大長谷のクラインガルテンにて帰農し,平日は立山仰ぐ富山にで過ごす。 二重生活を送る一家のヨメが綴る,有閑かつエキサイティングな日々。
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昨年来身体をこわされていた、お山のマタギ仙人。毎年分けて頂いているマタギ米、今期の分には黒いものが混じっている。余り満足な世話ができなかったのだろうか、病害虫にやられたらしい。
其の侭食べても大丈夫なのだが、銀シャリを愛する息子の為にも毎日せっせと猿のように米をかき混ぜては黒く変色した粒を指で摘まんでいる。
実はコレが本当に面倒臭い。無洗米なんてのも出回っているきょうびに、まずコメ粒の精査をせにゃならん。
しかし毎日毎日せっせと黒い米粒を摘まんでいると、次第にその筋のプロっぽくなってくる。あ、ほい。あ、ほいな。チョイナチョーイナ位に。
そうして毎回、お爺さんの健康の回復を願う。家族に美味しいもん食べさせなけりゃと、思う。この面倒臭い作業は料理する前の、感謝と戒めを再確認する作業だ。ハァー、チョイナチョーイナ。
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近所にスーパーを呼ぶオンナ。
しかしその開店した近所のスーパー(徘徊5分圏内)、非常に、ヒッジョーに便利極まりないのではあるが。
飽きたーーーー。飽きちゃった。
だって、物凄く安価で、物凄く新鮮で、物凄く出来のいい国産野菜が、物凄くかんたんに手に入っちゃうんだもん。
お山の野菜はね、虫が食ってて、泥が付いてて、葉っぱの根本にも土がギッシリ詰まってて、食べる迄にすんげぇ大変なんですよ。洗って、虫に出会ってギャーーーーッと絶叫してさ。山菜なんか採って直ぐにアク抜きしなきゃ駄目し、雑草混じってっし。茸のカサの裏には土だの虫だの入ってっし。
物凄く面倒臭い。
でも、コレがあるのと無いのでは、551があるときー無いときー(わかりますか)以上の喪失感がある。
野菜を洗ったり、水を何度も変えて虫やら枯葉やらを取ったり、一晩かけてアクを抜いたりする面倒臭い手間が、おいしく料理しなけりゃ一生懸命育った素材と、ソレを用意してくれたあの人のあの手にモッタイナイ、という気持ちのオマケを付けてくれるのだ。産地と生産者の名前が明記されてスーパーの陳列台に並んでいるモノとは、そのリアル差が違う。もう、猥褻なまでにリアルだ。コレはここ数年で私たち家族が豊かな里山から授かった、ワクワクすらしてしまう特別な感情なのだろう。
捨てるには、惜しすぎる。
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ここんとこ出張準備やら飲み会やら会議やら何やらで、首肩腰内臓の弱っている旦那さんの為に、明日は必殺スプリット・ピースープだ。皮を剥いて半分に割れた状態で乾燥されているグリーンピーは、前日の夜から洗って多めの水に漬けておく。
なかなか手に入りにくいスプリット・ピーはネットで大量注文した南米産だ。水で洗っていると、結構黒く変色してるものや、石ころなんかも混入してたりする。豆食の南米人にとっては、こうやって毎回チョイナチョイナとクズ豆を摘まむのは当たり前な作業なんだろなーと、ニッポンの台所で想いを馳せつつクズ豆を摘まむ。
明日も富山は大雪予報。
寒い夜には豆のポタージュが身も心もあっためてくれるだろう。
面倒臭いウチの小学一年生も、きっとオカワリする。

其の侭食べても大丈夫なのだが、銀シャリを愛する息子の為にも毎日せっせと猿のように米をかき混ぜては黒く変色した粒を指で摘まんでいる。
実はコレが本当に面倒臭い。無洗米なんてのも出回っているきょうびに、まずコメ粒の精査をせにゃならん。
しかし毎日毎日せっせと黒い米粒を摘まんでいると、次第にその筋のプロっぽくなってくる。あ、ほい。あ、ほいな。チョイナチョーイナ位に。
そうして毎回、お爺さんの健康の回復を願う。家族に美味しいもん食べさせなけりゃと、思う。この面倒臭い作業は料理する前の、感謝と戒めを再確認する作業だ。ハァー、チョイナチョーイナ。
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近所にスーパーを呼ぶオンナ。
しかしその開店した近所のスーパー(徘徊5分圏内)、非常に、ヒッジョーに便利極まりないのではあるが。
飽きたーーーー。飽きちゃった。
だって、物凄く安価で、物凄く新鮮で、物凄く出来のいい国産野菜が、物凄くかんたんに手に入っちゃうんだもん。
お山の野菜はね、虫が食ってて、泥が付いてて、葉っぱの根本にも土がギッシリ詰まってて、食べる迄にすんげぇ大変なんですよ。洗って、虫に出会ってギャーーーーッと絶叫してさ。山菜なんか採って直ぐにアク抜きしなきゃ駄目し、雑草混じってっし。茸のカサの裏には土だの虫だの入ってっし。
物凄く面倒臭い。
でも、コレがあるのと無いのでは、551があるときー無いときー(わかりますか)以上の喪失感がある。
野菜を洗ったり、水を何度も変えて虫やら枯葉やらを取ったり、一晩かけてアクを抜いたりする面倒臭い手間が、おいしく料理しなけりゃ一生懸命育った素材と、ソレを用意してくれたあの人のあの手にモッタイナイ、という気持ちのオマケを付けてくれるのだ。産地と生産者の名前が明記されてスーパーの陳列台に並んでいるモノとは、そのリアル差が違う。もう、猥褻なまでにリアルだ。コレはここ数年で私たち家族が豊かな里山から授かった、ワクワクすらしてしまう特別な感情なのだろう。
捨てるには、惜しすぎる。
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ここんとこ出張準備やら飲み会やら会議やら何やらで、首肩腰内臓の弱っている旦那さんの為に、明日は必殺スプリット・ピースープだ。皮を剥いて半分に割れた状態で乾燥されているグリーンピーは、前日の夜から洗って多めの水に漬けておく。
なかなか手に入りにくいスプリット・ピーはネットで大量注文した南米産だ。水で洗っていると、結構黒く変色してるものや、石ころなんかも混入してたりする。豆食の南米人にとっては、こうやって毎回チョイナチョイナとクズ豆を摘まむのは当たり前な作業なんだろなーと、ニッポンの台所で想いを馳せつつクズ豆を摘まむ。
明日も富山は大雪予報。
寒い夜には豆のポタージュが身も心もあっためてくれるだろう。
面倒臭いウチの小学一年生も、きっとオカワリする。
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